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東京高等裁判所 平成元年(行コ)98号 判決 1991年12月19日

控訴人

地方公務員災害補償基金埼玉県支部長

畑和

右訴訟代理人弁護士

関口幸男

早川忠孝

河野純子

空田卓夫

被控訴人

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

城口順二

石川憲彦

柳重雄

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立て

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者双方の主張

当事者双方の事実上の主張は、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する(ただし、原判決七枚目裏四行目の「理由の要点」から同六行目の「争わないが」までを「理由の要点が控訴人主張のとおりであること及び一(一)ないし(五)の事実は認め」と、同一六枚目裏四行目、同一七枚目表一〇行目の各「通達」を「通知」とそれぞれ改める。)。

第三  証拠関係<省略>

理由

一「請求の原因」1、2の各事実は当事者間に争いがない。

二(本件処分の手続面の適法性について)

1  被控訴人は、本件処分には調査の手続等につき違法があると主張するが、<書証番号略>に弁論の全趣旨を総合すると、控訴人は、被控訴人の給付の請求につき、地方公務員災害補償法(以下「法」という。)四五条、法施行規則三〇条、地方公務員災害補償基金業務規定所定の手続を履践して本件処分をしたことが認められ、他にその手続に違法があったことを認めるに足りる証拠はない。

2  また、被控訴人は、地方公務員災害補償基金埼玉県支部審査会の審査手続及び地方公務員災害補償基金審査会の再審査手続にそれぞれかしがあるから本件処分は違法であると主張するが、仮にこれらの裁決の手続にかしがあったとしても、このことによって原処分である本件処分が違法であるということはできないから、右主張は理由がない。

三(被控訴人の症状とこれに対する診断について)

1  「請求の原因に対する被告の認否と主張」中の1(一)ないし(五)の事実は当事者間に争いがない。

2  右(一)の事実すなわち、被控訴人が昭和四六年四月から越谷市立蒲生保育所に保母として勤務し、保育業務に従事していたところ、同四八年四月ころから肩こりを感じるようになり、疲労が強くなるとさらに腰痛を感じるようになったこと、そして、同四九年一月には右腕にだるさを、また、文字を続けて書くと腕、手、指に痛みを感じるようになり、同年七月には頸の両側に痛みを感じるようになったので、同月一〇日小豆沢病院で受診したところ、過労性頸肩腕障害、過労性腰痛症と診断されたことに、<書証番号略>、被控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人が訴えていた自覚症状の内容及びその受診と就労の経緯は、次のとおりであったことが認められる。

すなわち、被控訴人は、昭和四九年一月ころから脱力感、疲労感を強く感じるようになり、同年三月浦和民主診療所で受診したところ、職業からくる「頸腕」ではないかといわれた。同年四月には肩こり、腰痛に加え、瞼のけいれんや目の痛みも出現し、同年五月には子供を抱いてミルクを与えていると腕の痛みを強く感じ、手の震えを感じるようになり、同年六月には熟睡ができず、脱力感、いらいらを強く感じるようになった。そこで、前述のとおり小豆沢病院で受診し、その診断に従って同年七月一〇日から八月九日まで病休し、肩こり、腰痛の軽減した同年八月一〇日に職場に復帰した。しかし、その後も肩こりと腰痛が残り、昭和五〇年四月にはマッサージ治療を受けたが、同年八月には腰痛がひどくなり、発熱も伴うようになり、一時的には歩行もできない状態となった。昭和五一年二月には、音声に対し敏感になり、特に子供が急に大声を出したりすると、びくっとしてその場にいられない状態になり、これに疲労感、頭痛等が重なったことから、同年七月二六日から昭和五三年一月三一日まで病休及び休職によって療養した。そして、症状が軽減したことにより、同年二月一日に復職し、軽労働をするようにとの診断があったことから保育課勤務となった。以上の事実を認めることができる。

3  被控訴人が小豆沢病院で「過労性頸肩腕障害」「過労性腰痛症」と診断されたことは、前述のとおりである。

ところで、証人芹沢憲一の証言(第一、二回)によれば、右の診断をしたのは同病院の芹沢憲一医師であって、同医師によれば、過労性頸肩腕障害とは、業務による過労が原因となって生じた頸肩腕の恒常的な痛み、しびれ、こり等の障害であり、過労性腰痛症とは、右同様の原因によって生じた腰部の恒常的な痛み等をいうものであることが認められる。しかしながら、「過労性頸肩腕障害」とか「過労性腰痛症」という用語は、同医師が右のような障害ないし症状を意味するものとして独自に用いているものであって、医学界において一般にそのような用語がそのような障害や症状をいうものとして用いられているものではないことは、同証人の証言自体から明らかである。そして、証人大久保行彦の証言によれば、一般に疲労の内容や程度を診断によって的確に把握することが困難であることから、傷病名に過労が原因であることを意味する「過労性」の語を冠することは、臨床医療においては一般には行われていないことが認められる。

次に、「頸肩腕障害」の内容についてみると、<書証番号略>及び証人芹沢憲一、同大久保行彦の各証言(第一、二回)に弁論の全趣旨を総合すれば、日本産業衛生学会は、従来から「頸肩腕症候群」の名のもとに指摘されていた頸、肩、腕に関する痛み、しびれ、こり等の障害ないし症状について、昭和四八年ころから、これを職業に起因するものとそうでない一般のものとに区分し、前者を「頸肩腕障害」と称する旨の提案をし、業務による障害を対象とすることを前提として、これを上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業によって神経と筋に疲労を生ずることの結果として起こる機能的あるいは器質的障害と定義したこと、しかし、整形外科学会においては、右の意味における「頸肩腕障害」が、一定の作業に従事したことがその障害の原因であることを前提としているところから、たまたま、患者の作業歴等についての調査が行われた場合にのみその診断がされることにつき、これを医学的見地からは妥当ではないとして容認していないこと、芹沢医師は、小豆沢病院における初診の際に、被控訴人の主訴と被控訴人から聴取した事情とにより、その他の調査をすることなく直ちに前記のような診断をしたこと、その診療録<書証番号略>には「過労性」を診断した客観的根拠を示す記載も、また他覚的な診断の結果についての格別の記載もないことがそれぞれ認められる。これらの事実によれば、被控訴人が小豆沢病院において「頸肩腕障害」との診断を受けたことにつき、従来からいわれている頸肩腕症候群に該当すること以上の格別の意義を見い出すことは困難である。

以上の認定、判断を総合すれば、被控訴人の自覚症状と被控訴人が小豆沢病院で受けた診断の結果から直ちに、被控訴人が保母の業務に従事したことが原因となってその主張の疾病が生じたものと認めることはできない。

四(被控訴人の業務の内容とその心身に及ぼした影響について)

1  そこで、進んで被控訴人が従事した保母の業務の内容をも斟酌して、その業務に従事したことによって、被控訴人の主張する疾病が生じたのかどうかについて検討する。

法二六条、二八条、二八条の二、四五条によれば、職員が疾病に罹ったことによる災害補償を求めるには、その請求の原因である疾病が公務によって生じたこと(公務起因性)を要するところ、ここにいう公務によって生じたとは、公務と疾病との間に相当因果関係があることをいうものと解するのが相当である。

この点についての立証につき、被控訴人は、被災者側が疾病の発生と関連する公務に従事していた者であることと被災者に当該疾病が発症したこととを証明すれば、右疾病が公務によるものではないと主張する側において、これを立証しない限り、公務により発症したものと推定されなければならないと主張する。しかし、当該疾病が、ある公務に従事したときに通常発症するものであることが医学上の経験則から是認されるのであればともかくとして、そうでないのに、一般的に被控訴人主張のような推定をする合理的な根拠を見い出すことはできない。そして、本件に顕れた証拠によっては、被控訴人の担当した保母の業務からその主張の発症をすることが通常であると認めることはできないから、被控訴人の右主張は採用することができない。

2  <書証番号略>によれば、地方公務員の公務上の災害(疾病)の認定基準につき、「公務上の災害の認定基準について」と題する地方公務員災害補償基金理事長通知(昭和四八年一一月二六日地基補第五三九号。昭和五三年一一月一日地基補第五八七号及び昭和五六年四月一日地基補第九八号により改正)が発せられているところ、これによれば、「次に掲げる職業病は、当該疾病に係るそれぞれの業務に伴う有害作用の程度が当該疾病を発生させる原因となるのに足るものであり、かつ、当該疾病が医学経験則上当該災害によって生ずる疾病に特有な症状を呈した場合は、特に反証のない限り公務上のものとする。」とされ、その職業病のうちに、頸肩腕症候群と腰痛がそれぞれ掲げられており、これによれば、上肢に過度の負担のかかる業務(例えば、せん孔、タイプ、電話交換、キーパンチャー等の業務)に従事した者、重量物を取り扱う業務、腰部に過度の負担を与える不自然な作業姿勢により行う業務その他腰部に過度の負担のかかる業務に従事した者が発症した場合で、その業務に伴う有害作業の程度が当該疾病を発症させる原因となるに足りるもので、当該疾病に特有な症状を呈した場合には、特に反証のない限り、職業病として公務上のものとされること、さらに腰痛については、「腰痛の公務上の認定について」と題する同理事長通知(昭和五二年二月一四日地基補第六七号、昭和五二年六月一四日地基補第三六号、昭和五三年一一月一日地基補第五八七号により改正)及び「「腰痛の公務上の認定について」の実施について」と題する同基金補償課長通知(昭和五二年二月一四日地基補第六八号、昭和五三年一一月一日地基補第五八九号により改正)によりその認定基準が示されていることが認められる。

右の通知は、地方公務員の疾病の公務起因性の判断に関する行政上の運用基準を示したものであるところ、<書証番号略>によれば、頸肩腕症候群及び腰痛症の発症の原因ないしそのメカニズムは、いずれも現在の医学水準において完全に解明されているわけではなく、ことにその業務起因性に関しては、キーパンチャーなどの一定の業務に従事したことによる発症が肯認されてはいるが、一般的にはいまだ定説のない現状にあること及び右通知は、これをふまえた現時点における最新の医学常識に即したものであることが認められ、これらの事情からすれば、右通知が示した認定の基準は、被控訴人の疾病の公務起因性の認定につき参酌するに価するものというべきである。

被控訴人の従事した保母の業務は、後記認定のとおり、右通知がいうところの「キーパンチャー等その他上肢(上腕、前腕、手、指のほか肩甲帯を含む。)の動的筋労作または静的筋労作を主とする業務」及び業務上の腰痛症が認定される業務のいずれにも該当しないから、被控訴人については、右通知が掲げる業務起因性の判定基準(作業態様、作業従事期間、業務量、肉体的条件等)を参酌して、業務と疾病との相当因果関係の有無を判定するのが相当である。

3  ところで、<書証番号略>によれば、「頸肩腕症候群」とは、広義には頸部から肩及び上肢にかけて何らかの症状、すなわち項部痛、重感、肩こり、上腕から前腕にも及ぶ痛み、重感、手指のしびれ、脱力などを呈するものに対して与えられる総括的名称であるところ、このうち、病態の明らかなものについてはその病態に応じて、頸部椎間板症、腱鞘炎、五十肩、頸椎奇形、上腕外果災等の傷病名がつけられ、通常「頸肩腕症候群」というときは広義のそれのうち病態の明らかでないものを指していうことが多く、自覚症状を主とした多彩で頑固な愁訴を特徴とし、他覚的所見が困難であり、神経内科的疾患や心身症的疾患など整形外科以外の診療分野にまたがる疾患も存在し、患者の性格によって症状の現れ方が極めて複雑にもなるため、自覚症状のみによって病気を決定することもまた困難なものとされていることが認められる

4  被控訴人の担当業務が保母としての業務であり、その業務内容、勤務状況、保母の配置状況、保育所の環境等についての事実関係が「請求の原因に対する被告の認否と主張」中の1(二)ないし(五)のとおりであることは当事者間に争いがない。そして、<書証番号略>、証人矢田部和子(後記採用しない部分を除く。)、同張ヶ代君子の各証言、被控訴人本人尋問の結果(第一、二回)に弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人の業務における動作の特徴は、対象が学令前の子供であるところから、立ったままの姿勢で子供らの面倒をみることが多いうえに、時には、しゃがんだり、中腰になったりしたままの姿勢を続けたり、身体を左右にねじらせたりするほか、机や椅子を動かしたり、子供を抱き上げて移動させたりすることもあること、これらの動作のうち、頸、肩、腕又は腰に特に負担がかかるのは、子供が押入れの布団を出し入れするときに補助し、あるいは子供と一緒にテーブルをセッティングし、掃除をするなど物や子供を移動させる作業や腰をかがめてする作業であると見られるが、移動させるのは子供用の軽量のものに過ぎず、掃除も身体の動作は家庭におけるそれと大差はなく、子供を抱いたりする動作も、保母の判断で適宜子供を下に降ろすなど、腕に無理な負担がかかるのを避けることができないものではなく、しゃがんだり中腰となることによる腰などへの負担も、家庭の主婦のそれと比べて著しい差はないものと認められ、証人矢田部和子の供述中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、保母の保育労働そのものは、身体のいろいろな部位を使う混合的、複合的な作業であり、かつ、特定の部位に負担の集中する持続的、強制的動作を伴うことのない断続的な作業であるということができるから、頸肩腕症候群や腰痛症を起こしやすい筋労作ではなく、また、上肢又は腰部に過度の負担のかかる職種であるということもできない。

したがって、保母の業務の態様から、一般的に保母が頸肩腕症候群や腰痛症の起因性が認められる業務であるものということはできない。

そして、右証人張ヶ代君子の証言及び被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人が他の職員より特別に過重な職務量の仕事を担当させられていたことはなかったことが認められ、また右認定の被控訴人の業務の内容に前記認定の被控訴人の勤務状況、保母の配置状況、保育所の環境を総合すると、被控訴人の業務をもって、頸肩腕症候群や腰痛症を特に発症させる原因となり得る特異ないしは有害な業務であったと認めることはできない。確かに、<書証番号略>に証人矢田部和子の証言及び被控訴人本人尋問の結果(第一回)を総合すると、被控訴人と職場を同じくする保母の中に、肩、腕、腰等の痛みを訴えた者が相当数おり、昭和四九年当時一五名の保母のうち被控訴人を含む四名が病気となったが、被控訴人のほかは、うち一名は背、腰痛、別の一人は背痛、他の一人は自律神経失調症、頸肩腕症候群であって、うち二人は数日の休暇をとったのみであり、また、被控訴人を除いて公務災害の認定請求をした者はなかったことが認められるから、被控訴人の職場で頸肩腕症候群又は腰痛症が多発していたということはできない。

5  <書証番号略>に証人大久保行彦の証言及び被控訴人本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、被控訴人は、昭和五二年一二月、浦和民主診療所において気管支拡張症との診断を受け、昭和五三年一月一二日から一三日にかけて大宮医師会市民病院に入院検査を受けた結果も同様の診断であったこと、気管支拡張症は、それのみでは特段の症状を呈しないものの、感染が加わることによって、呼吸器症状が現れやすく、発熱、頭痛、脱力感、だるさ等の症状を呈すること、被控訴人は、越谷市に就職する前後ころから微熱や啖がでる等の症状を呈していたことが認められる。

6 以上の検討の結果を総合すると、保母の業務は、これに従事する者が頸肩腕症候群や腰痛症を発症したときにおいて、業務と疾病との間に相当因果関係のあることが一般に是認される業務であるということができず、また、被控訴人が従事した現実の業務が、これらを発症させるほどの過重なものであったり、その業務につき、それを発症させるだけの特異ないしは有害なものというべき事情があったと認めることもできない。のみならず、被控訴人が気管支拡張症を患っていたことから、これが被控訴人の訴える自覚的症状に影響を及ぼしていた可能性もあることを考慮すると、仮に、被控訴人がその業務に従事したことが、被控訴人の発症と関連があることを全く否定することまではできないとしても、被控訴人の業務は、発症に原因を与えた要因の一つであることの域を出ないものであって、それが相対的にもせよ有力な発症又は症状の増悪の要因であったと認めることは困難である。そうすると、被控訴人が従事した公務と被控訴人の訴える疾病との間に相当因果関係があるものということはできない。

五以上のとおり、被控訴人の公務災害の認定の請求につき、これを公務外の災害であるものと認定した本件処分は正当であるから、その取消しを求める被控訴人の請求を認容した原判決は失当である。よって、原判決を取り消して被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官橘勝治 裁判官小川克介 裁判官南敏文)

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